宙組

宝塚歌劇の”正しい楽しみ方”なんて存在しない



おはようございます。

む~です。

 

今年もいろんな本を読みました。

私は村田沙耶香さんの文章が大好きでして。

彼女の文章を読むようになってからあらゆる面での「普通」や「正しさ」に更に興味を抱くようになりました。

今日は”宝塚歌劇の”正しい”楽しみ方”について思うことを書いてみました。

どうぞご覧ください!

興味深い投稿

「コンビニ人間」を読むずっと前にあるSNSでの投稿が私の目に留まりました。

ご本人特定を防ぐため、書かれていた内容の要点だけを掻い摘んで書き出すとこんな感じ。

  • ○○(お名前です)の歌が下手とかダンスが下手とか発言すべきではない。
  • 好きなご贔屓を褒めちぎってればいい。そのほうが楽しい。それだけでいいじゃないか。
  • 歌もダンスも完璧なジェンヌよりも(技術的に)欠点がある人のほうが魅力的じゃないか?

私の考え方と違う部分もあるけれど、「こんな考え方もあるのね~」と思って読ませていただきました。

今までも同じような投稿を沢山見てきましたが、今回は私なりに考えるところがあってこの投稿を機に再度自分の意見を整理しました。

みなさんはどう思いますか?

悪意なく純粋な気持ちで舞台感想(良いことも悪いことも全て)述べるのは悪いことなのでしょうか?

それとも何か気になることがあっても、そのことについては一切触れずに自分のご贔屓だけをある意味盲目的に褒めちぎったほうが宝塚の楽しみ方として正しいのでしょうか?

この2つに正解はありませんし、私はここで正解を出したいわけではありません。

ただ1つ思うのは

「楽しみ方に正解なんて存在しない」ということです。

正しい意見・楽しみ方など存在しない。

今回私が見た投稿で一番気になったのはこの部分でした。

勿論投稿した方自身がそのような考え方を持つのは自由ですし、それで構わないと思っています。それは誰にも犯すことのできない彼(彼女?)だけの聖域です。

しかし、「自分の考えが正しい!」「これこそ正義だ!」と突きつけるのはどうなのかなと私は思ってしまいます。

以前ブログのコメント欄を開放していた時も「私こそ正義!私こそ正しい!」という意見を何度かいただきまして、私はとても疑問だったのです。

「なんでこんなに自信満々に「自分こそ正しい」と思えるのだろうか」と。

自分の考えこそ正しい!正義!と思えたことがない私からすれば、凄く不思議ですし、理解できない人種でした。

 

回りくどくなってしまうのではっきり言いますね。

私は”正義”の押し売りをする人がとっても苦手です。

世の中に正しいことなんて何一つないと私は考えています。

私のブログ一つとってもここに書いてあることは一つの”意見”であり、これが皆さんにとって正しい意見なのか悪い意見なのかは読者の皆様の判断に委ねています。

こんな白黒つかない世界で「宝塚の楽しみ方」ひとつ考えたって「正しい歌劇の嗜み方」「正しいご贔屓の愛で方」なんて存在しないはずです。

宝塚歌劇って・・というか舞台って

もっと自由に楽しんでいいはずではないでしょうか?

楽しみ方は色々あるほど面白い

人生の目的が人それぞれあるように、宝塚歌劇の楽しみ方だって人それぞれです。

  • ビジュアルで楽しむ
  • 歌を楽しむ
  • ダンスを楽しむ
  • お芝居を楽しむ
  • ジェンヌのオフの部分を楽しむ
  • 盲目的にご贔屓を愛でてて楽しむ
  • 愛しているご贔屓だからこそ厳しい目を持ちながらも楽しむ
  • 宝塚歌劇を”舞台”として楽しむ
  • 宝塚歌劇を”宝塚歌劇団生徒の学芸会”として楽しむ
  • 舞台は見ずにスカイステージを楽しむ
  • 宝塚歌劇の雰囲気を楽しむ

いまちょっと考えて挙げてみただけでこんなに楽しみ方があるですよ!

この中でどれが最も正しい楽しみ方かなんてわかりませんよね。

自分の楽しみ方を人に押し付けずに、自分は自分の楽しみ方をする。

もし相手が共感してくれれば一緒に楽しむ。

相手の意見が自分と違ったとしても、一度受け止めて理解できるところは理解してあげて、理解できないところは「こんな意見も世の中にはあるのね」と新しいことを学ぶ気持ちで臨む。

自由(自由の度合いは皆様の常識にお任せします)に自分の意見を発信するためのSNSのはずなのに、自分の意見を言い辛い空間になっていくのはとても残念なことのように思います。

もっと気軽に意見を言い合えるようなヅカヲタ界ができるといいなぁなんて願っています!

でわ~^^

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