宝塚の観劇感想

宙組『壮麗帝』 考察 天彩峰里(ハティージェ)



おはようございます。

む〜です。

 

今日は先日noteにメモした”宙組『壮麗帝』 考察 天彩峰里(ハティージェ)”をこちらでも投稿します。

すでにご覧になった方にとっては重複する内容となりますのでご注意ください。

 

みねりちゃんのハティージェがあまりにも素晴らしかったので言葉にならない思いをなんとかまとめました。

またみねりちゃんの演技みたいなぁ・・・。

 

すれ違うハティージェとイブラヒム

ハティージェの存在について語る上で欠かせない存在。

それが夫であるイブラヒム(和希そら)。

 

史実によると、ハティージェとイブラヒムが婚姻関係にあったという否定されいるため壮麗帝での関係性はこの物語限定のもののようだ

しかし、この二人の物語は物語の中でも特に印象的だった。

スレイマンとヒュッレムは身分の違いを超えて愛し合い、劇中でも二人は平等な立場として描かれていることの方が多かった。

ヒュッレムはスレイマンに敬語を使うときもあれば対等に話すときもあり、身分の違いを感じることはあまりなかった。

 

このカップルに対してハティージェとイブラヒムは身分を超えた愛が二人にはあるものの、最後まで”身分違いの恋”で終わってしまうのがなんとも切ない。でもこれがあの時代の普通なのかもしれないと思うと尚更スレイマンのヒュレムに対する寵愛ぶりを感じた。

 

イブラヒムとハティージェは「身分」という深い溝が残っていた。

イブラヒムはハティージェに対して最後の最後まで敬語だったしそれはじゅりそらのデュエットの歌詞でもなんとなく伺える

 

「側にいれば光があふれる」と未来を歌うじゅりちゃんハティージェに対して

「側にいれば光が溢れた」と過去を振り返る形で歌うそらぴイブラヒム。

 

お二人の美声に心躍るものの、二人の心情を思うとただただ胸が苦しかった。

彼女は何度イブラヒムに「私たちは夫婦になったんですよ」と話しかけただろう。何度彼を諭そうとしたのだろう。

 

イブラヒムにとって「出会った瞬間からその美しさに目を背けることのできなかった月」のような存在だったハティージェはイブラヒムに告白された時は悪戯っぽく「お兄さまに惹かれていたのではなくて?」とイブラヒムをからかった。

あの時は、結婚したばかりの頃は、イブラヒムもハティージェの前では気を許せて幸せだったのだろう。

 

しかしスレイマンのためとはいえ、裏切りに近い行為を重ねていくにつれ、どんどんハティージェの前でも素を出しきれず、身分の違いを改めて感じてしまっていたのかもしれない

 

もっとハティージェと色んなことを話し合って色々相談できていたら、あんな結末を迎えていなかったかもしれない。

だからこそ私はイブラヒムに一つだけ言いたいことがある。

ハティージェは本当に満月(完璧)だったのか?

 

満月に見えたハティージェ

一見、ハティージェは満月のように穏やかで美しい女性だ。

 

常に冷静で美しく穏やか。

存在するだけで場が華やぐ明るい性格。

誰がみても目立った欠点のない女性だったのかもしれない。

 

でもそれは”見た目”だけであり、本当はそんなに完璧な女性ではなかったんじゃないかと私は思う。

それに気づいたのはイブラヒム処刑後、じゅりちゃんが涙をポロポロ流しながら「イブラヒム・・」と崩れ落ちた姿を見た時。

私はハッとさせられた。それと同時に今までの彼女の演技が思い出されてさらに胸を締め付けられた。

 

彼女は最初から完璧なんかじゃなかった。周りの期待に応えて、場に流れる空気を誰よりも敏感に察知して完璧に存在しようとしていただけだったのだ。

 

もし彼女が本当に冷徹なほど完璧だったら皇女としてイブラヒムの処刑で涙を流したりなんかしなかったのではないだろうか。

凛とした強さを持って耐えしのんだのではないだろうか?

 

一瞬の演技だったけど、じゅりちゃんの涙と今までの温かみのあるセリフの裏に隠されていた表情を思い出してさらに泣けた

イブラヒムが彼女に心を許しきれなかったように、ハティージェもまたイブラヒムに自分の弱さを曝け出せなかったのかもしれない。

イブラヒムの、そして宮廷のみんなの満月でいようと勤め続けたハティージェの強さが彼女の良さでもあったし、欠点でもあったのだと思うとやるせない。

 

天彩峰里の圧倒的実力と華やかさ

じゅりちゃんに対して一言いうとしたら

パーフェクト

という単語しか出てこない。

 

丁寧なお芝居・素晴らしき歌唱力・愛される雰囲気

いつトップ娘役に就任してもおかしくない実力と華やかさで壮麗帝の物語をしっかり支えていた。

少女時代は誰よりも愛らしく、歳を重ねるにつれて淑女としての振る舞いが自然とついてくる。どれだけ年月が経ったか説明が入らなくても彼女を見ていれば「年月が経ったのだな」とわかるほど細やかに変化していくお芝居

月並みな言葉だけど、とてもよかった。

 

ハティージェに関しては演出上あまり説明がないため、じゅりちゃん自身が自らの演技で「空白の時間(舞台に立っていない時間)」を埋める必要があった

演者として当たり前かもしれないけど、壮麗帝のように年月がかなり長いスパンで飛び飛びになる作品ではそれが難しいと思う。

 

しかし、じゅりちゃんにかかればブランクなんてまるでなかったかのように見えるのが不思議だった。

ハティージェを見ているとハティージェと共に歳を重ねた気持ちになれた。時代の間に置いてけぼりになからなかった。

 

いい演技を見せてもらった証拠?に今はじゅりちゃん=ハティージェと読んでしまうほどだ。

それくらい私をハティージェという女性の人生に引き摺り込んでくれたじゅりちゃんには感謝しかない。

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