宝塚の観劇感想 雪組

真彩希帆とクリスティーヌ〜天使たちは出逢うべくして出逢った〜



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おはようございます。

む〜です。

 

1月も終盤ですか・・。

早いですね〜。この前3が日が終わったばかりだと思っていたらもう1月終わっちゃうんですね。

 

さて、今日は雪組「ファントム」の感想を書きます。

今回感想を書くのは”天使”こと”真彩希帆”ちゃんです!

 

彼女が演じたクリスティーヌ、歴代で一番好きでしたし納得できるクリスティーヌでした。もうほんと、、歌ウマは正義と言わずにいられない出来でした。

 

真彩ちゃんがクリスティーヌを演じてしまった今、今後クリスティーヌを演じる方がいたとしてもハードルが異次元レベルに高くなってしまったのはもう言うまでもない。

 

真彩希帆はクリスティーヌを演じるために生まれてきた。

クリスティーヌは真彩希帆に演じられるために生み出された。

 

二人の音楽の天使は出逢うべくして出逢った。

こう感じさせられた真彩クリスティーヌでした。

 

 

成長する「高音美声」

 

きぃちゃんクリスティーヌの何がよかったか。

全体的に圧倒的な歌唱力だったことはもう誰もが知る事実だっと思うけれど、私が「このクリスティーヌいい!」と思ったのは成長過程を歌声で表現しているところ。

 

表情、仕草でクリスティーヌの成長を表すだけでなく、歌声で彼女の成長過程をみせようとしてくるのです。これはきぃちゃんだからこそできる芸当です。

 

登場シーンで歌っている「パリのメロディー」ではダイヤモンドの原石としての輝きを観客に感じさせつつも、まだ幼さと田舎臭さが拭えないような歌い方でアプローチしてくれる。きぃちゃんの表情も夢見がちなパリ少女といった感じでまだまだクリスティーヌの本領を発揮できていないことがこの場面で窺いしれます。

 

その後、「私の夢が叶う場所」を歌い始める時に彼女の中で何かが少しづつ変わっていく様子が伝わってきます。歌に生きる喜び、歌が大好きだと言う心からの叫び(おそらくきぃちゃん自身もこんな気持ちなのでしょうね^^)が彼女の喉を通って声で歌っていると言うよりも気持ちで歌っているように感じられるなんとも心温かくなるナンバーになっています。

 

「君は音楽」〜「ビストロ」での才能の開花にはエリック同様、観客も思わずニヤニヤしてしまうでしょう。今までの田舎臭い歌声から、天上の歌声へとシフトしていくきぃちゃんの歌声。思わずため息が出てしまいそうなほど素晴らしかったです。

 

まさに天使の歌声

彼女がファントムのミューズとして、そして観客のミューズとして降臨した瞬間を目撃できたことが幸せで堪りません。

 

クリスティーヌは人間だった

 

エリックが仮面を取る場面でいつも「おい!クリスティーヌ(怒)」となってしまうのはもうお約束事でして笑 今回も一人でキレていました。

 

今まで天使のようにエリックに接してきたクリスティーヌがエリックの顔を見た途端に悲鳴をあげて逃げ去ってしまうあの場面。

 

天使・クリスティーヌの印象が一気に崩れる場面です。

でもこの場面こそが「クリスティーヌ≠天使」だという事実を観客に見せる場面なのかもしれませんね。

 

アーサー・コピット氏の「ファントム」の特徴として、序盤ではクリスティーヌを天使のように扱う傾向があります。と言うか知らず知らずのうちに観客の目線がエリックと同じ目線になるように仕掛けていく特徴があるのです。

 

私たちはこの場面を見る頃にはエリックと同じ目線に立っていて「クリスティーヌだけがエリックに優しくしてくれる」「クリスティーヌこそがエリックの真の姿を受け止めてくれる」と無条件で信じている節があるのです。

 

だからこそクリスティーヌが仮面の下のエリックを見た時に耐えきれず逃げてしまうその姿に、二度と「天使・クリスティーヌとしての姿」を重ねることができなくなってしまうのです。もっといえばクリスティーヌが天使から人間に戻る瞬間をエリックと同じ立場・心情で目撃してしまうのです。

 

これが「おい!クリスティーヌ!(怒)」と思ってしまう原因なのかもしれません笑

 

クリスティーヌがエリックを愛せなかった理由

 

「クリスティーヌが何故エリックを愛せなかったのか?」ですが、これに関しては2パターンの解釈があると思います。どちらも仮面の下を見る前までは「クリスティーヌはファントムを愛する自信があった」ことが前提です。

 

エリックの顔の傷の醜さに恐ろしくなって逃げてしまった。

エリックの顔の醜さだでけでなく、背負っている運命の禍々しさに怖くなって逃げてしまった。

 

どっちにしても「ヒェェェ(悲鳴)」と叫ばれて逃げられたエリックの気持ちを考えれば憎たらしくて仕方ないのですが笑 皆様はどちらだと思いますか?

 

私はね、、絶対①だと思うんですよ。

きぃちゃん自身はプログラムで②を理由として挙げていますが、あの一瞬でエリックの背負っているものの重さに気づいて怖くなって逃げるというのはどうも納得いかなくて。

 

クリスティーヌが普通の人間であることを前提にするのであれば①が妥当だと思いました。

 

もし②であれば、逃げ出した直後に「彼に謝らなくては!」なんて言えない気がします。

彼の運命に対する恐怖は謝るべきものではない。彼自身が抱えているその恐怖に共感して支えてあげるべきものはずですから。もし②が理由で逃げ出したのであれば「彼の元に戻って支えてあげなくては!」という台詞の方が妥当だと感じました。

 

ということでクリスティーヌがエリックを愛せなかった理由は「所詮普通の人間だから」で私の中で片付けました。

 

そしてこそこそがエリックの母・ベラドーヴァ(全てを愛し受け入れる聖母マリア的存在)との決定的な違いを感じた瞬間でもありました。

 

宝塚歌劇団の「音楽の天使」

 

以上できぃちゃんクリスティーヌに関する考察は終わりです!

お楽しみいただけましたでしょうか?

 

きぃちゃんクリスティーヌはとにかく歌ウマさんで、歌を心配しなくて済むので物語の解釈をずんずん掘り下げることができました。

 

あと2回。

 

きぃちゃん演じるクリスティーヌが千秋楽に向けてどう変わるのか。それとも変わらないのか。とっても楽しみにしています!

 

でわ〜。

 

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