はじめての宝塚

宝塚歌劇特有の拍手に思うこと(拍手の必要性)



 

おはよございます。

む〜です。

外部公演に足を運ぶようになってから、宝塚歌劇の不思議に気づくようになりました。

そのうちの一つが”拍手”です。

どのグループ・業界でも独自のルールがあると思います。

宝塚歌劇団も例外ではなく、独自のルールを100年の歴史の中で作り上げてきました。

一度宝塚から身を引くと不思議なルールが多いのですが、その中でも特に初めて観劇された方が驚くのは”拍手の多さ”ではないでしょうか?

今日は、宝塚特有の”拍手”について思うところを書きます。

多すぎる様式美の拍手

宝塚を長年ご覧になられている方は熟知のことだとは思いますが、宝塚では”お約束”の拍手が非常に多いです。

例えばですが、こんな時に拍手をします

  • トップさんが舞台に初めて登場した時
  • 銀橋にトップさん(もしくは2番手さん)が入られた時
  • お歌を歌い終わった時
  • ショー(プロローグ・中詰・カンカンなど)での手拍子
  • フィナーレでの階段降りが終わった後

これ以外にもご卒業される生徒さんへの拍手やよくわからない場面で拍手(FCの方で決められているのでしょうけど)が上がります。

とにかく多いです。

頑張っているジェンヌさんを鼓舞する・賞賛するという意味で拍手を決まった場所でしているのでしょうけど、個人的にはこの文化をとても不思議に思います。

一体この様式美の拍手は誰のためなのでしょう?

何のためなのでしょう?

”拍手をしない”は悪なのか?

以前、ブログでこんなことを書いたことがあります。

「あまりにも歌が酷くて拍手をしなかった」

この言葉を書いた当時、ミュージカルと銘打たれた宝塚作品を見に行ったのですがあまりにも歌が酷かったのでその場面だけは拍手できませんでした。

その時に何名かの方から「拍手をしないなんて演じている人に対して失礼だ!」とご意見を頂きました。(その節はありがとうございました)

しかし、当時をどう振り返ってみても憎悪の感情から拍手をしないという行為に至ったわけではないことは明確です。

その時聴いた歌が拍手に値しないと感じた故にしなかっただけなのです。

私が拍手を送りたいと感じる瞬間は、

「素晴らしい歌・ダンス・芝居を魅せて頂けた時に相手に感謝の気持ちを伝えたい」

と思う時です。

「ありがとう!とても素晴らしかったよ!」という意味を込めて、私は演者であるジェンヌさんたちに拍手を送ります。

なので、拍手をしないという選択も全然OKなはずです。

しかし、宝塚歌劇は様式美の拍手を送ることが暗黙のルールとして文化の根底に根付いています。

私は宝塚歌劇の拍手って拍手の安売りだなと感じることさえあります。

拍手をして当たり前。どんな時でも拍手・手拍子をするのが当たり前。

知らず知らずのうちに、拍手の価値を下げていませんか?

それは回り回って演者であるジェンヌさんに対して失礼になる可能性だってあります。

舞台は学芸会ではない

カンカンや中詰など、手拍子することでより会場が盛り上がる場面も宝塚歌劇の舞台には用意されています。

そこはライブ会場のように場を盛り上げるという意味でも拍手や手拍子をしてあげてもいいと思います。(決して強制ではないのでできる範囲で楽しく拍手してあげればいいと思います!)

私が、「演者であるジェンヌさんに対して失礼になる可能性」があると指摘したのは主にお芝居での拍手です。

率直に書くと「そこ拍手いる?」というところで爆竹拍手(爆竹のような音の拍手)が上がる時。

お芝居で泣ける場面とかで何故か爆竹拍手が入ってくるとホント・・残念です。

私は基本的にお芝居中に拍手をするのは苦手です。

ここぞ!という時の拍手(大合唱が終わった後とか1幕終わりとか)はしますけど、わけわからないタイミングで拍手をすることにより温まった舞台の雰囲気が一気に壊れるのは悲しいです。

おそらく、何の節目でもない場面で拍手が入るのは「〇〇さん(生徒さん)よく頑張った!」という愛ゆえの拍手なのでしょうけど、、。

私は学芸会を見に来ているわけではないんだよな〜と思う時がたまにあります。

先ほども書きましたが、「芸事の出来が微妙な人に対して拍手を送らない」という行為を悪だと考える方もおられるようですが私はそうは思いません。

彼女たちはタカラジェンヌでもありますが、舞台に立つ以上演者でもあります。

演者である彼女たちを評価せず、無意味に賞賛することの方が失礼なように感じます。

勿論タカラジェンヌである彼女たちの血の滲むような努力は尊敬しています。

そして拍手を送りたい気持ちもよくわかります。

しかし、それはファンレターかショーでの拍手に留めておくべきではないでしょうか。

わざわざ観劇の空間で「労いの気持ち」を表すことでもないように思います。

だって彼女たちは立派なプロなのですから。

拍手が少ない=嫌われているではない

先日。

とある組の公演を観劇した時に、明らかにキャスト毎に拍手の大きさが異なる日がありました。いつも見ている宝塚の舞台ででここまで拍手の大きさに差ができるのって珍しいし、あまりにも違いすぎるので居た堪れないような気持ちになってしまいました。

私と同じように感じた方も何人かいらっしゃるようで「私だけじゃなかったのか・・」とちょっと安心する一方で、この拍手の差で深く傷つく人も中にはいることを知りました。

でも。。。そこまで傷つくことじゃないと思うんですよ。これに関しては。

拍手が少ない=嫌われている・嫌味 ではないと思います。

単純に技術に対する評価・その日のファンの割合による部分が多いと思うので、これで傷つかなくてもいいんじゃないかなと個人的には思いました。

確かに居た堪れない気持ちにはなりますが、それがその日の演者への評価ですし、素直に受け止めるしかないのでしょう。

様式美の拍手は必要なのか?

結局のところ、宝塚において様式美の拍手は必要不可欠なのでしょう。

既に文化として根付いていますし、何よりも舞台に上がり、拍手を浴びることに慣れてしまっている生徒さんに不安を与えないためにも様式美の拍手は必要です。

しかし、これ以上不必要な拍手を増やすのは辞めて欲しいです。

私は何も拍手をするために観劇しているわけでもありません。

時が経つにつれてどんどん余計な拍手が増えていっている気がします。

今一度、

  • 拍手とは何か?
  • 誰のための拍手なのか?
  • 何に向けての拍手なのか?
  • 拍手をすることでお芝居の世界観を壊してないか?

考えていただけたら嬉しいです。

でわ〜^^

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