日々の戯言

宝塚版『エリザベート』の魅力〜何度でも見たくなるその魅力〜



おはようございます。

む~です。

 

昨日、花組エリザのを見て、久しぶりにエリザベートを見たくなりました。

 

何度見たって内容はすべて同じ。

一人エリザできちゃうくらいセリフも歌詞も細かく覚えてるのに何故だろう?

 

毎回新鮮に感じるのは。

 

内容に関しては一切新鮮味なんてないけれど、感じるものが毎回異なる

 

これが不思議です。

 

なぜ私はエリザベートという作品を何度も見たくなるのでしょうか?

人間的魅力に溢れている登場人物たち

なぜ何度見ても面白いのだろうと自分なりに考えてみたところ、3つの考えが頭に浮かびました。

 

その一つが「毎回、感情移入する登場人物が違うということ。」

 

初めてエリザベートを観たとき、私は一番シシィ(エリザベート)に共感しました。

束縛されずに自由に生きたい

 

当時高校生だった私にとってこの言葉は人生そのものでした。

 

少なからず私も親や学校に束縛されているという気持ちを抱いていたので、シシィに痛く共感し、シシィと同じようにフランツやゾフィーの気持ちに寄り添うことができませんでした。

 

時を経て大学生になってからもう一度エリザベートを観ると今度はフランツに一番共感しました。

 

皇帝の義務を果たしながらも、できる範囲でエリザベートに尽くそうとする

このフランツの葛藤に初めて寄り添えるようになったんです。

 

そして今は、なんとあのゾフィーに共感しています笑

今一番共感できないのはシシィです笑

 

エリザベートは登場する人物のほとんどが実在の人物(多少フィクションもあるかもしれませんが)ということもあり、

人物背景がリアルでどの登場人物の視点から物語を見るかによってこの作品への印象がだいぶ変わるのです。

 

毎回シシィの視点で見るとすべて同じ物語として目に映りますが、

ある時はルドルフ、ある時はトート、ある時はリヒテンシュタインマックス

とコロコロ視点を変えていくことにより、更にエリザベートという作品を様々立場から楽しめます。

 

この点ではエリザベートってとても奥深くて肉厚な作品ですね。

 

「なぜ彼女は死を愛したのか?」というエリザベートのテーマについて考える時も登場人物の数だけ解釈の仕方、見方があります。

 

一回の観劇で登場人物すべての視点から作品を見るのは不可能です。

だから私は何度でもエリザベートを観たくなるのだと気づきました。

演者によって印象が180度違う

前章で

毎回シシィの視点で見るとすべて同じ物語として目に映る

と書きましたが、これはあくまでも演じる人間がすべて同じだった場合です。

 

宝塚のように毎回違う人間が演じるとなると話は大きく変わってきます

 

登場人物の方向性や全体的なテーマは上演されるたびに変わるようなものではありません。

 

しかし、同じシシィという役を演じるにしても演者が違えば、シシィが観客に与える印象というのもガラッと変わります。

 

シシィでいえば花總さんのシシィと今シシィを演じている愛希さんのシシィはやっぱり異なります。

 

どちらもシシィには違いないのですが、演じる人の持つ雰囲気だったり役への解釈の仕方でまったく別物のシシィになるのが魅力です。

演じる人によって観客のシシィに対する印象も全く異なるんですよね。

 

わがままで幼稚なシシィだったり、元々鬱っぽいシシィだったり、自立した大人のシシィだったり。。

 

再演されるたびに印象が180度違ってくるので当然この作品に対する自分の解釈も変わっていきます。

 

そして当たり前ですけど、エリザベートは演じるたびにキャストが一新されています。

 

シシィだけが違うのであればシシィの変化を楽しむだけになるのですが、周りのキャストもすべて今までの人物と違うのでキャスト間で生まれる化学反応もまた異なります。

 

フランツの台詞や動作が優しさや憐憫の情に満ち溢れているほど、エリザベートの身勝手さが目に付きます。

ゾフィーも同じです。ゾフィーのメイクや彼女の背負っている責務が表情に出れば出るほどゾフィーを“憎き姑”という見方ができなくなります。

 

これが再演のおもしろさですよね。

エリザベートほど再演される作品になるとこれこそが“醍醐味”になってくるのかもしれません。

自分の状態によって見方も変わる

どの作品もそうだけれど、特に「エリザベート」という作品はその時の自分の年齢・状態によって見方が大きく変わります。

(エリザベートは何度も再演されているので、自分の感想の違いを比較するにはうってつけの作品なのかもしれないですね)

 

親に縛られていた学生時代(実際にはそう感じていただけだと今は思える)ではシシィに共感して「私だけに」を聞きながら涙した。

世の中の不条理さを理解し始めた頃にはフランツやルドルフと共に理想と現実の狭間で苦しんだ。

社会に出て働くようになってからはゾフィーの背負っていた責務の重さに首がもげるほどうなづいて、「言い方さえ気を付けていれば」と余計なお節介を言いたくなる。

 

私の成長とともに目の前にある『エリザべート』という作品は刻々と色を変えていくのもこの作品の持つ面白さだとまたひとつ気づけました。

 

これから30代、40代、50代、60代、そして80歳になった時、改めてこの作品を観劇したら私は誰に一番共感するのでしょうか?

 

もしかしたらヴィンディッシュ嬢かもしれないし、もしかしたら黄泉の帝王トート閣下かもしれない。

どんな人生をこの後送ることになるのか、今は全く予想がつかないけれど間違いなく『エリザベート』という作品は私の部屋の片隅にいつもあると思います。

なぜ何度でも『エリザベート』を見たくなるのか?

日常の中で出てきたこの素朴な疑問。

自問自答するために2000文字も書くなんて阿呆らしいですね。

でもこうやって文字にすることで自分の考えを整理できた気がします。

 

「人は何故何度でも『エリザベート』という作品をみたくなるのか?」

 

私の答えは「登場人物すべてが私の一部だから」です。

 

個性豊かな登場人物ばかりで、最初は共感できないキャラクターもいましたが、

私が大人になるにつれてキャラクター全員に対して共感できる部分が増えいきました。。

 

自分の感情の一部を具現化するとシシィになったりゾフィーになったりルキーニになったりします。

 

「今日はこういう感情で生きてみたいな」と思う時

「こういう人物がみたいな」と思った時にエリザベートを観ると

 

90%の確率で自分の求めいていた感情を具現化した誰かしらに出会えます。

 

だからこそ私は何度でもエリザベートを観たくなるんだろうなという自己分析をしました。

皆さんはどうでしょうか?

 

ぜひ皆さんの考えもお聞かせください。

 

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