日々の戯言

「トップになる」ことがタカラジェンヌの最終目標じゃない。



おはようございます。

む〜です。

 

昨日から蘭蘭コンビの作品を片っ端からみています笑

 

当時、蘭蘭コンビ大好きだったのでDVD(めっちゃ画質悪い涙)をほとんど買ってたみたいなんですよね。昔の自分が金持ちすぎて笑いました笑 今は毎公演DVD買うのは流石に気が引ける。お財布と睨めっこしてから買うのが習慣化してしまっているので←

 

そんなこんなで久しぶりに宝塚にどっぷり浸っている私ですが、こうやって過去のDVDを見返していくと「今だからこそわかること」もあるわけで。

 

あの時は「目の前で行われていること」「発表されること」が全てだと思っていましたが、本当はそれだけじゃなかったんだなってことにようやく気づけて。

 

トップになる/ ならない っていうのはタカラジェンヌの最終目標じゃないな

ってことになんとな〜く気づきました。

 

宝塚歌劇団本来の楽しみ方を忘れそうになる

宝塚を見るようになって毎回発表される人事発表に一喜一憂して過ごすようになると、ついついタカラジェンヌ本来の楽しみ方(在り方)を忘れそうになることがあります。

 

宝塚は「人事予想」をすることも楽しみの一つだと思っているので、「人事発表に一喜一憂して過ごすこと」は何も悪いことではないのですが、ただ「人事」にばかり目を向けていると宝塚を純粋に楽しめなくなりませんか?私は時々そうなってしまうのですが・・笑

 

「なんで○○さんはトップになれないんだろう」とか。

「なんで△△さんは○○さんよりも舞台技術もあるし美しいのになんでもっと上にあがれないんだろう」とか。

 

宝塚の人事に目を向けるとどうしてもこんな想いが頭に浮かんでは消えて・・みたいなことがあります。

でも宝塚歌劇団の楽しみ方って本来は「人事」じゃないなって過去作品を見返していて気づきました。

 

宝塚歌劇団の人事問題は「一時の娯楽」でしかない

うまく言えないけど、「宝塚の人事」って楽しむのも悲しむのも一時的なもの(その当時だけ)で、どんなに時間が経っても忘れないのは「その時行われていた宝塚の人事」ではなく「一瞬一瞬を輝くタカラジェンヌの姿」なんだなってことを過去のDVDたちを見返していて感じたんですよね。

 

過去のDVDや作品を見返していると、絶対トップスターになりそうな人がトップにならずに去っていく姿を沢山見ます。

 

例えば花組の愛音羽麗さん

彼女のレベルでトップスターになれないなんて、なんて厳しい世界なんだとファンになりたてだった当時の私は思いました。当時みわっちのことも陰ながら応援していたので彼女が退団するその日までずっと「なんで」「どうして」と悶々と考えていました。退団公演をみるのがちょっと辛かった時もありました。

 

でも今DVDを見返してみると、あの時あんなに悩んでいた負の感情が殆ど湧き上がらなくて。

むしろ、みわっちが残してくれた「宝塚特有のキラキラ」「みわっちがお客さんに届けようとした永遠の愛ばかりを感じました。

これを感じた時、気づいたのです。

 

私がどれだけ

「もったいないことをしていたのか」って。

私はみわっちの何を当時見ていたんだろう

 

彼女が目の前でタカラジェンヌとしての役目を全うしようとしているその瞬間まで、何故くだらない人事のことに拘り続けていたんだろうと。

 

「トップになる/ならない」はファンとして確かに悩むことではあるけれど、それが最も大切なことではないしタカラジェンヌの最終目標ではない。

 

そんな簡単な真実にようやく触れられたような気がします。

「トップになる」ことは最終目標じゃない

タカラジェンヌの最終目標、そしてファンである私たちがタカラジェンヌに望み、応援すべきこととはなんなのか。

 

私は

タカラジェンヌとして、「人の記憶に残る素敵な舞台」を作り上げること

これに尽きるのではないかと思います。

 

月組のトップ娘役に海乃美月ちゃんが決まってから、「くらっちはどうなるの?」「じゅりちゃんは?」って声もよく聞きます。

 

そう思うのも無理ないし、私もそう思ってしまいます。

そして、そう思ってしまう自分の気持ちは素直に受け入れるべきです。

 

でも、そこばかりに目を向けるのは勿体無いかもしれません。

彼女たちの最終目標はトップになることだけではないはず。

 

もしかしたら「トップになること」だけを最終目標として入ってきたタカラジェンヌもいるかもしれませんが、おそらくどのタカラジェンヌも「お客様の記憶に残る、素敵な娘役(男役)でありたい。素敵な舞台を作り上げたい」と思っているのはないでしょうか?

 

「トップになったから嬉しい。トップになれなかったら悲しい。」で終わらせるのではなく、「彼女たちの作り上げる舞台・男役像(娘役像)に対して喜んだり悲しむ。」ことがファンとして取るべきスタンスなのかもしれないと今回気づきました。

 

これからも「トップ就任する/しない」で一喜一憂しすぎずに、ジェンヌさんの作り上げる舞台・男役像(娘役像)に対して喜んだり悲しんだりできるファンでありたいと改めて思いました。

 

朝からわけわかんない文章書いちゃってすいません。

でも、自分の中では「とっても大切なもの」を見つけた気持ちになったのであえて文章として残しておきました。

ではでは。

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